ピアノはコツコツと一生懸命努力して、取り組むもの。
練習第一!!毎日練習!!
確かに、ピアノは急にはうまくなりませんし、続けること、毎日行うことは、どんなことでも上達したいのであれば、大切なことです。
一生懸命・・・この言葉にワナがあるようです。
真面目に・・・気持ちも関係あるかも。
私が長い間してきた練習は「一生懸命」「根性」
そんな言葉がピッタリでした。
それが当然と考え、それしか方法は無いと思い
心のどこかで、音楽はなんであんなにエレガントなのに、練習はいつもドタバタドタバタ・・・なんだろう?
体は間違えてはいけないと緊張して硬くなり、いつの間にか呼吸も忘れ?
首も硬直!
ロボットのような身体と必死の形相でピアノを弾くコワ~イわたしが居ました。
こんな感じですから、癒される演奏、心躍る演奏とは程遠く・・・
ギャンギャン鍵盤を打ち鳴らし、ピアノさんにも、お客さんにも、わたしのからださんにも
ごめんなさい・・と謝りたくなるような演奏をしていました。
そんな練習を続け、当たり前ですが、手首を痛めてしまいました。
手が小さいわたしは無理をして指を広げ大きな音を出そうと手首に負担をかけて上から叩くように弾いていました。
反復練習をするしかないと思い込み、出来ないところは何回も練習。
楽譜に正の字を書いて何十回、何百回・・・と練習しました。
沢山練習しているのに、何故かどんどん弾けなくなりました。
そんな時には、自分の小さな手を呪い、指を責め、
わたしはピアノを弾くべきじゃないんだと自分を責めました。
音楽はピアノは大好きなのに・・・
諦めなくてはいけないのだろうか?
もう、ピアノを辞めるか辞めないか?
そう考えるようにまでなってしまっていた時に
宇治田かおる先生に出会いました。
体験レッスンには、悲愴な顔付きで伺ったと思います(笑)
先生に今までのピアノレッスンのこと、手のこと、
ここに来た理由などを話しているうちに
泣いてしまっていました。
わたしはこんなに苦しかったんだ・・・
打ち明けて、聞いてくださる先生がいらして
やっと、自分の苦しみに気付きました。
様々なピアノを弾くことへの限界と思われている事柄に関する質問に
1つ1つ丁寧に答えてくださる先生。
「70代の方でも、まだまだ進化していますよ」
この言葉が衝撃でした。
先生のレッスンが始まり、恐る恐る言われたとおりに弾いてみると
「え?!これでいいの?これ、弾いていないみたい?!」
今までの感覚からすると、まるで弾いていない感覚でも
音は鳴り、しかも響いていくのです。
そして速く楽に弾けます。
一生懸命、ド♪根性で弾いていたのに
ラク~に気持ち良く弾いていました。
「わたしが今までやってきたことはなんだったんだろう?」
放心状態になる位、ショックでした。
でも、もういままでのやり方はうんざりです。
少しずつの進歩にはなるとは思いますが、
こちらの世界に飛び込むことにしました。
やっと、わたしの中で、ピアノのイメ-ジと、弾く奏でるイメ-ジが繋がりました。
宇治田先生の教える奏法は、とてもエレガントで鍵盤の上を流れるように
腕や手や指が動いていきます。
そして、心もとてもラクになりました。
「心が緊張すると身体は硬くなり良い弾き方ができない」と言われ
先生はいつもレッスンの時には、フワッとした佇まいでわたしの横におられます。
本当に自然に何でも受け入れてくださるようなそんな様子に
ピアノのレッスンでは、いつもビクビクしていたわたしですが、
先生には音楽や自分をすべて預けていられます。
「もっと、早く出会いたかった」と思いましたが
丁度よいタイミングだったのかも知れません。
辛い練習、気持ちに悩んだことも、きっと、意味があるのでしょう。
「ゆっくり楽しんで取り組んでくださいね。」
といつも先生はおっしゃいます。
この気持ちのゆとりがピアノを弾く上で、とても重要なのだと思います。
誰かと、何かと、競争するのではなく
必死に焦って練習するのではなく
自分の作る音にしっかりと耳を傾け
手、指、からだに感謝しながら
自分に向かい合い、音を紡いでいくことなのかな~
と思います。
新しく歩き始めたピアノの道を
今度は伸び伸びと
周りの景色も楽しみながら、進んでいきたいと思ってます。