2012年2月27日月曜日

すべての山に登れ

ピアノの先生という仕事をしていて
辛いなぁと思う瞬間があります。

初対面の方とお話する時に
自己紹介がてら
「ピアノを教えていて・・・」というと

「あ~わたしも習ってた!ブルグミュラーまでしかいかなかったんだけど・・・」とか
(ブルグまで進めたのはすごいことです。)
「ピアノの先生が怖くて、レッスン日に行きたくなかった。」とか

「親に練習しろしろ言われて、イヤになった。」とか

沢山、習っていた方は居るのに
どうも、あまりいい話は聞かないのです。

かく言う、わたしもピアノレッスンでは
なかなか、楽しかった!という経験は
あまりしてきてないので
とてもよくわかるのですが・・・

その皆のピアノレッスンの辛い思い出を聞くと
少しやるせない気持ちになります。

せっかく、ピアノがあり、習える環境にあるのに
そんな印象だけが、心に残ってしまっている。

生徒さんと楽しくコミュニケーションを取ること
それも、ピアノレッスンを楽しいものにする
足がかりにはなると思うのですが・・・

出来ることなら、レッスン自体を
ワクワクするものにしたい!

毎日、試行錯誤の連続ですが・・・

やっぱり、何かを得た時
達成感を感じた時

小さなことでも、わかった!できた!という感覚を
掴めることが
楽しく充実したレッスンになるのだなぁ~と思います。

そのためには、生徒さんの目線に立って
自分も生徒さんの感覚、気持ちを想像してみること

出来るだけ、シンプルに伝えること

イメージに訴えかけること

そして、必ず、出来るようになると、信じてあげること

そんなことが、大切なのかな~と思います。

そして、一緒に、山を越えた時の喜び!
「すごいことだ」としつこい程、力説して・・・

また、新しい山を登り始める生徒さんを
眩しい気持ちで見つめています。


****この記事を書いていて、ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の
「すべての山に登れ」が頭の中に流れてきました♪
曲も大好きですが、歌詞がすばらしいのでシェアします。****


「すべての山に登れ」

すべての山に登りなさい 

高いところにも 低いところも

あなたが知っているすべての脇道を

歩いてみなさい

すべての山に登りなさい

すべての小川を渡り

すべての虹を追いかけなさい

夢が叶うまで


夢は与えられるだけの愛を与えて叶うもの

生きている限り毎日いつでも

すべての山に登りなさい

すべての小川を渡り

すべての虹を追いかけなさい

夢が叶うまで

(野村伸昭氏 対訳)


2012年2月17日金曜日

お天気は偉大

明るい、暗いだけで世の中出来ているものでもなく
楽しい、悲しい、だけでもなく

音楽には長調と短調があるけれど
強弱記号も付くとどうなるんでしょう?

最初は長調で明るい感じなのだけれど
強弱記号はpiano(ピアノ、弱く)

staccato(スタッカート、音を短く)の記号も付いてますので
軽やかな感じで弾かれていました。
とても可愛らしい感じです。

中間部、曲調が変わります。
転調(調が変わること)して、イ短調に

でも、mezzo forte(メゾフォルテ、やや強く)という指示

短調という印象が強かったようで
線が細く、さみしそうな感じに聴こえました。

「ここ、短調なんだけれど、メゾフォルテだよね?」
「あっ そーだ!」

少し音量を上げて、この中間部を弾きました。

「どんな感じする?」
「う~ん・・・」

どんな感じじゃ、曖昧すぎるよね~
子供にとって、言葉だけで表現することは
なかなか難しいことなのです。

こんな時に活躍するのがお天気です。

毎日変わっていく天気
子供もそれを肌で感じ、体験してきています。

「お天気でいうと、どんな感じ?」
「雨!」と即座に答えが出ます。

「そ~だよね~ちょっと、激しい感じもするもんね。」
「うん、たくさん降ってる」
「雷とかも、鳴っちゃうかもね。」

とイメージを膨らませていきます。

そして、すぐに今度は長調に転調

「あっ、晴れた!!」

crescendo(クレッシェンド、だんだん大きく)していくメロディ

「太陽が出て来た~」

とお天気でストーリーが作れました。

イメージできると気持ちも定まります。

なんとな~く、こうかな~?と弾いていたときよりも
自信を持って、音を作れるようになりました。

やっぱり、はてな?で弾いてしまうと
聴き手にうまく伝わりません。

いくら音がちゃんと取れていても
何も訴えかけてこないのです。

伝えたい内容が明確になることで
音は生き生きとしてくるものなんだなぁと思います。

2012年2月13日月曜日

自分を阻むもの

宇治田先生にレッスンを受け始めてから
生徒さんがピアノを弾かれる際の
体の動きを
よく観察するようになりました。

ピアノは手指だけで弾くものではなく
体は繋がっているので
すべてに影響し合っているのです。

自分から見える手指などは
注意が向きやすいのですが
姿勢や肩、肘のこと

椅子に座る時の重心の取り方
足のことなどは
気付きにくく

習慣によるクセもありますし
その方ならではのクセもあります。

音を長く響かせたい時には
腕を前のほうへ伸ばすようにして
指先へ重みをゆっくりとかけていくのですが

なかなか音が響いてこない場合があります。

指先はとても丁寧に
鍵盤の中へ入れていこうとされているのに
音があまり出てきません。

少し離れたところから
からだ全体を見ると
肘が脇にピタリと付いたまま
上半身も前かがみになってしまっています。

肘が脇に付いていると、腕を伸ばせません
一生懸命、鍵盤の中へ打鍵しようとされていましたが
下腕だけを伸ばしていました。

スタイルの良い方だからこそ
それこそ弾けていたのですが・・・

「わたしだったら、腕が短いから弾けないと思うよ~」と言いながら
肘を脇に付けた時の演奏と
肘を脇から外し、緩めたときの演奏を
見ていてもらいました。

すぐに理解していただき
実践してみます。

「あ~ラク~です。」

そうなんですよね、何てことないんですよね。
あんなに苦しかったのに、ラクラクなんです。

指先の鍵盤との接地面であるタッチポイントを
少し感じてみる練習をして

感覚が芽生えたところで
腕を伸ばして指先に自然に重みをかけてみます。

ステキな響きがしました
ここは教会ではないけれど
天井の高いところで弾いているような
音が空気になった感じ。

それをまた体で受け取り感じてもらいます。

肘を脇に付けていたのは
しっかりと弾かなくちゃという思い

上半身が傾いてしまっていたのは
手指のことを監視してしまうクセ

伸ばそうと思っていても、うまくいかなかったのは
うまくいかないかも~
大丈夫かなぁと
心配する気持ちだったのかも知れません。

不思議ですが、自分を阻むものは自分なのかも知れません。

不安、心配を手放して
音を間違えても死ぬことはありませんし(笑)

委ねていけば
気持ちの良い音の中で
リラックスする自分を発見できるのだと思います。

2012年2月7日火曜日

ピアノばばあになりたい

もう、大分前に、夫の知り合いの方から
演劇の公演のチケットをいただき
ふたりで見に行ったことがありました。

若い方達が自分達で立ち上げて作られている劇団で
ヒップホップのダンスも沢山入ったりして
エネルギッシュな舞台でした。

持ち前の記憶力の無さから
いまでは、ストーリーは全然思い出せないのですけど
とても気になる登場人物が居ました。

その名も「ピアノばばあ」
そのネーミングの素晴らしさに釘付けになりました。

格好も白髪をお団子にひっつめて
腰も曲がり、ガニ股になってしまったお婆さんなのですが
若者たちに音楽の素晴らしさを教えるという
役どころだったと?!思います。

ピアノばばあ、ピアノばばあ、ピアノばばあ・・・
いいなあ~
わたしもピアノばばあになりたい!

そして、この名前のイメージから
1つの夢が生まれました。

おばあさんになったら
森の中に
木で出来た、屋根が上から見ると六角形になっている
小さな音楽ホールを作って
舞台にグランドピアノを置き
その森の周辺の村の人々(?)が
替わるがわる来て、ピアノを弾いていくのを
1日中見ていたいなあ~と。

持ち前の妄想力発揮で
なぜか?映像も具体的にイメージできてしまうのです。

そのホールの管理人として
朝は鍵を開け
ピアノとすこしお話をして
いらした方のピアノの音色を聴き
夕方になり
誰もいなくなったら

ピアノに「ご苦労様」とあいさつをして
また、鍵を閉め
家に帰る・・・

そんな生活をしてみたい。
そして、皆に ピアノばばあって呼ばれてみたいなあ。